3か月でマスターする世界史選(3)世界宗教 誕生の条件

キリスト教の世界観として有名な最後の神話、救世主、天国と地獄。

実はもともと他の宗教にルーツがあったと考えられています。

それはオリエント、ペルシャ帝国で信仰されたゾロアスター教です。

広大な世界帝国の支配と大きな関わりがあったこの宗教。

キリスト教へと繋がっていく壮大な歴史とは。

さらに、キリスト教の広がりと分裂は、ヨーロッパを生み出す原動力ともなっていきました。

今回は、世界で信仰される宗教がどのように影響し合い広がっていったのか、

歴史の大きな繋がりを見ていく

今回学ぶ宗教もシルクロードを介して広がった

そういう世界宗教の大きなつながりというのを

オリエントを舞台に今回見ていく。

世界史をアジアの視点から見るこの番組

今回の第3回と次の第4回のテーマは宗教

キリスト教やイスラム教がどのように生まれ

その広がりが世界の歴史をどう動かしていくのか

2回にわたって見ていく

3回目、4回目のゲストは歴史学者の守川知子さん

守川さん西アジアの歴史がご専門ということですが

宗教を考える上でもオリエントから見ることっていうのは大切なんでしょうか

はいそうですねオリエントはそれこそ今お話にあったキリスト教であるとか

ユダヤ教であるとかそれ以外にもたくさんの宗教が生まれたところです

どうしてオリエントでそんなに宗教が生まれてくるかということを考えたときに

乾燥地帯が非常に多い砂漠であるとか自然環境が厳しいそういうオリエントでは

当時の手段として宗教というものが非常に重要な役割を果たしていたと考えられます。

世界宗教といえば、多くの人が信仰するキリスト教です。

しかし、このキリスト教に大きな影響を与えた宗教がオリエントにあったそうなんです。

こちらです。

それは、キリスト教成立から遡ること数百年前、古代ペルシャで生まれたゾロアスター教です。

紀元前6世紀、オリエントを統一し、初めて世界帝国を築いたアケメネス朝ペルシャ。

ペルセポリスの宮殿にあるリーフンは、こんな図像が彫られています。

アフラ=マズダ

ダレイオス王が信仰したと言われるドロワスター教の最高神です

なぜダレイオス王はアフラマズダを信仰したのか

その手がかりとなる遺跡がイラン西部のケルマンシャー州にあります

世界遺産 ベヒストゥン

高さ100mの断崖絶壁に刻まれたレリーフには

アフラマズダの元ダレイオス王が反乱者を鎮圧して国土を平定する様子が刻まれています

その日分には至高神アフラ=マズダの御意によって王となり得たと記されていました

最高神が王の正当性を保障する

広大な帝国を束ねるために支配者が要するとしたのが

ゾロアスター教でした

その教えはどんなものだったのか

ゾロアスター教は創始者が存在する世界最古の宗教

教祖(創始者)ザラスシュトラ(英語読みではゾロアスター)の独創的な世界観が展開されます

世界を作った最高神アフラマスタの下

世界は善と悪に分かれ

両陣営の神々が戦う場とされました

一万二千年の戦いの果て世界に終末が訪れます

そこに救世主が登場し

悪との最終決戦に勝利

幸福な千年王国が到来するというものです

その上で現世を生きる人間に

善行を積むことで救われるという

倫理観を説いたのも大きな特徴です

ゾロアスター教では

人は死んだ時橋を渡るといいます

生前良い行いをしてきた人は

橋が広くなり天国にたどり着きますが

悪い行いをしてきた人は

橋が狭くなり地獄に落ちてしまう

死後の世界の考え方も

ゾロアスター教に始まったとされます

この考え方が後の

様々な宗教に大きな影響を与えました

ここに映っているのが

アフラマズダという神様

ゾロアスター教はこのアフラ=マズダが最高神

創造神であって

一の神であってということになるんですけれども

手に持っているのを分かりますか

このまあるいんですか

王権の象徴というふうにされています

この王権の象徴が渡された人が

王として世界を統治することができる

王の正当性をこの神によって裏付けてもらっている

ですので先ほどの秘文の方でも

王の上にアフラマズダがいて

アフラマズダのおかげで

ダレイオスは世界を統治できるのだと考えています

ゾロアスター教の中にも

アフラマズダ以外にもたくさんの神様が実はいまして、まだまだ自然崇拝、アニミズムであるとか多神教であるとかっていうものをかなり色濃く残しているが

最高神を頂点にした神々のヒエラルキーと大王を頂点にした帝国のヒエラルキーが並行して同時に動いたようである。

西アジアは非常に乾燥地帯ですので、そうすると水の確保が一番大変。

川から水を引いてくるっていう治水であるとか、それを利用して農地を作っていくっていう考えなどを大規模開発をしなければならない。

そういった時にはどうしても神という存在なり

あるいは絶対的な支配者

そういったものが一緒になって

出来上がっていっているのではないかなという風に考えられます

ゾロアスター教って他にどんな特徴がある?

創始者のザラスシュトラは倫理を説いた。

今それまでは自然にあったものをここに木があるからとか泉があるからという形で崇拝していたところ、

そうではなく人間というものは何をすればいいのか、どういうふうな生き方をすればいいのか、

そして死んだ後に人間はどこへ行くのか、川を渡って橋を渡って来世、あの世に行くときに、

生前、いい行いをしていては正しい方向に行けるというそういう倫理を説いたというところが非常にポイント。

それがユダヤ教でとかあちこちの宗教のベースになった。

アケメス朝ペルシャというのは世界帝国

いろんな人がその中にいたということですから

あるローカルなところとかですね

特定の人たちということではなくて

いろんな地域

いろんな民族集団に広がっていくという

展開を示した

アケメス朝の後

紀元3世紀からオリエントを支配したササン朝ペルシャ(224~651年)

そこからゾロアスター教は

日本にまで伝わっていったと言われています

ペルセポリスの北にある巨岩の遺跡で

アフラマズダから王権の象徴(輪っか)を受け取っているのは

ササン朝の建国者アルダシール一世

もともとゾロアスター教の神官だったアルダシールは

より本格的にゾロアスター教を国家の宗教として推し進めた

ゾロアスター教の聖典「アベスター」がまとめられ

火や水を神聖視する儀礼や教義が固まっていきました

恒久的な拝火神殿が建設されていくのもこの時代から

400年続いたササン朝で厚く信仰されたゾロアスター教

シルクロードを行き来する商人の移動を通して

西に東にと伝えられていきました

奈良の正倉院

ここに所蔵されているガラスの器は

シルクロードを経てペルシャから伝えられたものです

ゾロアスター教も8世紀頃には日本に伝わっていたとも考えられています

こちらは奈良の東大寺

春を告げる行事 修二会(しゅにえ、お水取り)

お水取りという名でも知られるこの行事では

聖なる水を汲み上げ水の神と水の神の登場

堂内を清めながら躍動する達陀(だったん)という不思議な儀式が行われます

日本古来の神道 インド由来の仏教など

様々な影響の中で育まれたこの儀式に

ゾロアスター教との共通性を指摘する研究もあります

また京都五山の送り火をはじめ

祖先の霊魂を火によって迎え

北風風習にもゾロアスター教の影響を見ることができると思います

ササン朝ペルシャが7世紀(651年)に滅亡し、

その時にかなり多くの人たちがあちこちに逃げていきます

その結果おそらく8世紀ぐらいには日本にもやってきたと言われいて

東大寺のお水取りなんですけれども

お松明で火を燃やす

あとお水取りの言葉のもとになっているお水を取るという

東大寺の中にある井戸からお水を取るんですけれども

それも聖なる水

火や水を大切にするということで

奈良時代の日本には

ゾラスター教が伝わっていたらしい

送り火、灯籠流しであるとか

ゾラスター教の中でも

先祖の霊を迎えるために

火を燃やすというか焚き火というか

ゾロアスター教の方では

迎え火の習慣がある

子供の頃実家で

お盆の時に送り火をしたんですが

まさかササン朝から来てきたとは

奈良時代というのが

大陸から直輸入で

仏教というのを

一生懸命取り入れた時代だったと思います

その時にゾロアスター教の色んな考え方や

ペルシャ系の神々が入ってきて仏教の下地になっている。

アフラマズダという神ですけれども

そのアフラが阿修羅の語源になっている

ゾロアスター教は我々にとっても非常に身近な存在かと思いますが

エンマはゾロアスター教の神話伝説の中のジャムシードという王に由来

そのジャムがインドに行った時にイマとなり、

それが日本にやってきた時にエンマ(閻魔)となった

これはシルクロードがルートになっていて

宗教もそのルートに乗ってやってきて世界史を動かした

修学旅行で京都や奈良に行って日本の文化に触れましょうっていうけど

実はオリエントに触れていたのかもしれないね。

ゾロアスター教は最高神アフラマズダの崇拝を強調するため一神教的な性格がありました

これらゾロアスター教の要素がどのようにキリスト教に流れ込んでいったと考えられているか見ていきます

まずはユダヤ教

その出会いのきっかけはユダヤ民族の古代の歴史に刻まれる大きな苦難でした

紀元前6世紀ユダヤ人のユダ王国を新バビロニアが征服

ユダヤ人はバビロンに強制移住させられました(バビロン捕囚)

50年後に新バビロニアをアケメネス朝ペルシャの創始者キュロスが倒しユダヤ人を解放

この出来事を契機にユダヤ教にアケメネス朝で信仰されていたゾロアスター教の様々な要素が流れ込んだと推察されています

最後の審判に救世主

良い行いをすることで天国に行けるという倫理観など

かつては多神教的要素もあったユダヤ教は

ヤハウェのみをただ一つの神、創造主として信仰するようになる

このユダヤ教から派生したのがキリスト教でした

ローマ帝国領内のパレスチナ

ユダヤ教の改革者として活動したイエス

ユダヤ教ではユダヤ民族のみが救いの対象でしたが

イエスはユダヤの掟では

差別された人や異民族もあらゆる人が救われると聞きました

ユダヤ教に反する遺憾者と休断され十字架にかけられますが

イエスはキリスト信仰の対象になっていきました

キリスト教を広めた立役者の一人が使徒パウロ

元々はユダヤ教徒でキリスト教を迫害していました

しかし奇跡をきっかけにイエスを信仰するようになります

パウロはローマ帝国東部で広く使われていたギリシャ語を話しました。

そして1世紀、主に東ローマを中心に伝道を繰り返しました。

やがてローマ帝国領内の5つの都市に、地域のキリスト教会を統括する拠点が置かれるなど、教会制度が整備されていきました。

こうしてキリスト教は広い地域に広がっていったのです。

アケメネス朝のキロス大王は、新バビロニ王国を滅ぼし、そこに連行されて暮らしていたユダヤ教徒の人たちを解放。

エルサレムに帰還する人たちもいらっしゃいますが

彼らの人はそのままバビロンやその周辺に住み続ける

そうするとゾロアスター教などの影響を

ユダヤ教は非常にその時受ける

一つは最後の審判と死後の世界がありますということですよね

倫理が大事という概念

をこの時バビロン捕囚の時に

ユダヤ教の人たちは受け継いで

それがキリスト教に行った

自然崇拝は

大きな木とか岩とか

場所に規定される。

一方、唯一の神ならどこでも誰でも信仰ができる

ゆえに一神教というのは世界に広がる世界宗教の大きな条件である

こちらキリスト教が伝わった当時の地図になりますが

この地図からはどんなことが読み取れるんでしょうか

コンスタンチノープルは東の方にあるオリエントの都市

シリアにあるアンティオキア

そもそもキリストが活動していたエルサレムとパパレスチナ一帯

アリクサンドリアというエジプトの街

5つ主教徒があった中のそれら4つがオリエントにあった

ちょっと忘れてならないところで

アルメニアっていうのが地図の中に入っているかと思いますが

アルメニアは実はローマがキリスト教を公認する

313年のミラノ勅令よりも先に世界で初めて

301年にキリスト教を公認した国

それともう一つなんですけれども

メソポタミアのところ

そこは実際のところこの4、5世紀

ササン朝ペルシャにもキリスト教は広まっている

キリスト教は決してローマ帝国の宗教というだけではなく

むしろそれ以外のところあるいはオリエント一帯にもたくさん広まっていた

キリスト教は意外な形でさらに世界に広まっていくことになります

ローマ帝国に公認された結果

キリスト教の組織は正しいキリスト教とは何かを意識するようになります

4世紀それぞれの捉え方でキリスト教を伝えていた各教派が集まり開かれたのが「公会議」です

正当な教えとは何かが定められ

そこから外れる教派は異端として帝国を追放されました

イエスや母マリアに対する考え方をめぐり

異端とされた教派の一つが、ネストリウス派。

ローマを追放されると、シリアからササン朝ペルシェへ。

ササン朝はゾロアスター教を国境としながらも、異教徒には比較的寛容で、

ローマと敵対していた状況もあり、ネストリウス派を保護。

ここからインド(トマス派)、中国にまで伝わり、中国では景教と呼ばれました。

他にも、異端とされた多くのキリスト教派が各地に広がり、根付きました。

異端を追放したことで、キリスト教は今も多彩な地域で信仰されている。

キエスト教がまずローマ帝国の中で国家の宗教として認められるということは

一つの正しいものが出来上がるということ

そうすると何が正当かということをそれぞれに議論をしなければならなくなっていきます

それこそイエスは神なのか人なのか神の子なのか?

あるいはマリアは神の母なのか?

イエスが神だったらマリアは神の母になってしまう

しかし、神にお母さんがいていいのか?

ということになっていくので

正しくない、傷んだっていう人たちを

どんどん排斥して追い出していく。

その追い出された人たちが今度はササン朝の方に入っていったり、

あるいはシルクロードを通ってさらに東へ行ったり、そういう形で広がっていく。

キリスト教というとヨーロッパのものという先入観があったが、オリエントやアジアにも広がっていったんですね。

西からの影響というようなことは、今度は東アジアの方がそれを受け止めるという立場になってくるわけですね。

仏教にまず第一波が来て、その中にはゾロアスター教が含まれているというようなことがありましたけれども、

今度はキリスト教とか他の宗教が中国の方にそのまま入ってくるという現象が見られます

この唐の時代というのは日本が長い時代ですのでその頃仏教を取り入れたわけですけれども

当時の唐はどうだったかというと

景教というキリスト教が来、

それからゾロアスター教がそのまま進行されていると。

それからマニ教というのも入ってきて

それじゃあどこから来るのかというとやっぱりシンクロードを通ってやってくるわけですね

特にペルシャ系の国際的に活躍をしていた商品でもあるソグド人というのがいるんですけれども

そういう人たちが伝えた

本当に世界全体、ユーラシア規模で考えるべきようなこと。

ローマ帝国の中で教会組織として確立していったキリスト教

しかし大きな変化の時を迎えます

ゲルマン人の大移動を引き金に

ローマ帝国は西ローマと東ローマに分割統治されることになりました(395年東西ローマ分裂)

それに伴い教会も

西のローマ教会と東のコンスタンティノープル教会が

それぞれの中心地となります

当初は共存関係にあった両者ですが

476年に西ローマ帝国が滅亡し

ローマ教会は皇帝が不在の状態になってしまいました

ローマ教会はゲルマン人のフランク王国と結びつきを強めていきます

その過程で東と西は様々な問題で溝が深まっていくようになりました

800年決定的な出来事が起こります

ローマ教皇レオ3世がフランク王国のカールを西ローマの皇帝として認めたのです(カール大帝の戴冠)

以後ローマ教皇は西ヨーロッパの国々の支配者に

統治の正当性を与える存在として影響力を持っていきます

ゲルマン人の西ヨーロッパ世界が独自の道を本格的に歩み

歴史の転換点となりました

1054年ローマのキリスト教はローマ教皇を主張とし

西ヨーロッパに広がるローマカトリック教会と

宗主教をトップとする東方の正教会に分裂

正教会は総主教が東ローマ皇帝と近い関係を保ちながら

ギリシャやロシア東ヨーロッパなどに定着していきました

そういう歴史がキリスト教というと我々がヨーロッパのものという風に

常識的に思っているようなことの

そもそも多分根源になっているのだろう。

この後も宗教の活動というのは世界史に大きな影響を与えていくんでしょうか

そうですねヨーロッパ中世というのは本当にローマ教会が大きな権力を持って

例えば十字軍の旗を振るのはローマ教会のローマ教皇だったり

ローマカトリックの中で改革運動というのが起こってきて

宗教改革といっているようなことになる。

今度はイエズス会とかザビエルだとかというのが日本にキリスト教を伝えにやってきたりとかする

そういうキリスト教のダイナミズムというものが世界史を動かしていく一つの原動力になっている

宗教の大きな変化と世界史との密接な関わりが理解できた。

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