アナザーストーリーズ 運命の分岐点 東日本大震災 踏みとどまった外国人たち/NHK

True Colorsを歌う。

以下、「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 東日本大震災 踏みとどまった外国人たち」の視聴メモ。

シンディ・ローパー。2011年3月18日。日本でコンサート。2011年3月11日の東日本大震災の僅か一週間後のこと。日本を出る多くの外国人とは違い、彼女は日本に留まってコンサートをした。

外国人が次々に国外に出た。当時の状況を鑑みれば致し方ないこと。

3月11日。シンディは日本でのコンサートのために向かっていた。空港閉鎖。飛行機は着陸できず。日本上空をさまよって羽田空港にようやく着陸。ホテルへ。ロビーでは毛布にくるまって寝ている人が大勢いた。自分の部屋に行くときにはすまない気持ちになった。

ある決意をかためる。コンサートをする。シンディ・ローパーは1983年にソロデビュー。ファーストアルバム大ヒット。世界的スターになった。彼女と親交がある湯川れい子の話。トゥルー・カラーズを他の観客とは異なり日本人は一緒に歌ってくれた。以来日本に親しんできた。震災翌日3月12日。ツアーをやるつもりがあるか?→なぜここにいるのか。それには理由があるはず。自分にできることがある。キョードー東京がその決心にこたえた。しかし事態が悪化。福島第一原発が水素爆発。コンサートどころではない。

スディーブ・ガブリ。バックバンドの一員。外国人が出ていくのにバンドメンバーは日本に次々来日。ひとまず名古屋公演は無事終了。東京でのステージが問題。被爆のおそれがあるから。ステージでシンディーが舞台でメンバーに頭を下げて協力を請うた。メンバーも彼女の強い思いを感じた。

自粛ムード。イベントのキャンセル。コンサートをしたところでどれぐらいの人が見に来てくれるか。当日券を求めて200人もの列ができた。当日券は飛ぶように売れた。

True Colors。アカペラのPower to the People。別次元のパフォーマンス。大阪でも公演。7日間の日本ツアー終了。湯川れい子氏に感謝のメール。こちらこそありがとうだ。

2012年3月5日にシンディー・ローパーが石巻の小学校を訪問。再生の象徴、桜の苗木を子どもたちに贈る。被災地が忘れさられることを危惧していた。誰もが前に進もうとしている。みんなが立ち直れるように被災地のものを買おう。

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