久々の60kmランニング

この週末8日に久々に姫路から神戸元町(神戸サウナ)までの60km走(ランニング)をした。

その日はまず朝に家から仕事場までの約10kmをいつものように走り(ペース6:14 /km)、

昼過ぎ3時ぐらいから神戸までの約60kmを走った(ペース6:25 /km)。

いつものとおり空腹で走り初めて走っている最中に摂取するのは水だけで固形物は食べず。

その日は神戸サウナに泊まり、

翌日はおまけで神戸サウナから東加古川駅近くのかつやまでの約40kmを走った(ペース6:18 /km)。

かつやでカツ丼を食べて加古川駅まで走ってそこから電車に姫路駅まで乗って仕事場に戻り、すこし仕事してから家まで10kmを走って帰った(ペース6:34 /km)。

ということで8日と9日の2日間で約120kmほど走った(ランニングした)ことになる。

走っている最中に考えたのは長い距離を早く走れる人はその長さとどう折り合いをつけているのだろうということ。

わたしはたとえば60kmを走るときに20km走った時点でまだ40kmを走らなくちゃいけないのかとなかば絶望的になる。そういう絶望感は長い距離を早く走れる人にはないのではないかと思っている。

ではどうやってそういう絶望感をなくしているのか?それを一度聞いてみたいのだが、私の仮説として長い距離を早く走れる人は後先を考えずに今だけに集中する術を身に付けているのではないかということ。今だけしかなければ”もうすでにこんなに走ったのに”とか”まだそんなに走らないといけないのか”といった過去も未来も関係なくなる。

今だけを生きる術こそ長い距離を早く走るこつなのではないかと考えている。

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